第3回 特別研究事業成果報告会

公開日 令和5年9月16日(土曜)(令和5年3月12日(日曜)講演)

「古墳時代の日朝交渉における海の道

 古墳時代の「倭」の社会は、朝鮮半島から多様な文化をさかんに受け入れて、みずからの文化として定着をはかる。当時の倭人たちはさかんに海を渡り、朝鮮半島の百済や新羅、加耶、そして栄山江流域の人びとと交渉を重ねる。倭から栄山江流域や百済に赴く航路との関連で注目できる考古資料は、5世紀前半頃に朝鮮半島の南・西海岸地域に築かれた「倭系古墳」である。海を望む立地で、北部九州地域における中小古墳の墓制を総体的に採用している。よって、その被葬者はあまり在地化はせずに異質な存在として葬られたと考えられ、倭の対百済、栄山江流域の交渉を担った倭系渡来人として評価できる。また、寄港地と関連する集落遺跡も、南・西海岸地域に点在しているので、その寄港地をつたうような航路を復元することが可能である。

 当時の南・西海岸地域には、物資、技術、情報、祭祀方式などをやりとりする「地域ネットワーク」とでも呼ぶべき関係網が広がっていた。栄山江流域や百済をめざす倭系集団は、そのネットワークを活用し、寄港地に居を構える地域集団と交流を重ね、時には短期的に「雑居」しながら、円滑な航行を企図したものと考えられる。その中で、航

海の途中で死をむかえた人物を「倭系古墳」を造営して葬ったり、航海安全の祭祀を執り行ったり、あるいは一部の人びとが現地に定着するような状況が生じていたようである。

高田 貫太 氏(国立歴史民俗博物館研究部准教授・総合研究大学院大学准教授)
専門は考古学、先史・古代日朝関係史。
主要著作に『古墳時代の日朝関係―新羅・百済・大加耶と倭の関係史―』(吉川弘文館、2014年)、『海の向こうから見た倭国』(講談社現代新書、2017年)。『「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳』(角川選書、2019年)